二人仲良く並んでいる姿を想像してみる。
もう、そんな事はできないんだよね。
なんとなく胸が締め付けられる。
私が落ち込んでどうするのよ。
大きく溜息を吐くと同時、背後から少し擦れた声がした。
「まだ帰らなくてもいいの?」
「安積さん」
背後の老女は、振り返って自分を見上げる少女にゆっくりと笑いかけ、横に腰を下ろした。
「なぁに? こんなところで浸っちゃって」
「別に浸ってなんかないですよぉ」
口を尖らせるツバサを面白そうに笑う。
「そうやって否定するところが怪しいわね。なぁに? 恋の悩みでも?」
「残念でしたぁ。お陰サマでラブラブですぅ」
「あらあら、それはごちそうサマ」
二人してカラカラと笑う。
春の夜風が庭に漂う。
「良い季節になったわね。もう桜は終わりのようだけれど。この間の花見も楽しかったわよね」
「まっちゃんのヘタクソなアカペラがなかったらね」
「あら、私は結構好きよ。あの子の歌」
「えぇ? 安積さん、悪趣味」
「せめて物好きと言ってほしかったわね」
「どっちも大して変わらないと思いますよ」
「そう?」
「まっちゃんをバカにしているという事には違いないかと」
「そうかしら」
シレっと答える老女の横顔はまるで少女のように朗らかで、若いころはさぞかし美人だったのだろうと想像できる。
今だって十分美人だよ。
知らぬ間に見惚れているツバサ。それに対して庭を見つめたままの安積が、ゆっくりと口を開く。
「魁流くんとは、あれから会ったの?」
「え? あぁ、いいえ。あれからすぐに東京の方へ戻ってしまって」
「そう」
兄に会った事を、ツバサは安積にすべて話した。兄の事も織笠鈴の事も、蔦と里奈との事も、すべてを話した。私も会いたかったわ、と、聞き終えた安積は、ポツリとそれだけを言った。
「私、今でも信じられません」
庭へ視線を向けながら、ツバサは小さな声を出す。
「鈴さんが、本当はあれこれ下心を潜ませていた人だったなんて。そもそも、善人とか悪とかって、そういうのもよくわからないし」
指を顎へ当てる。
「善人になりたいって、そういうの、普通、誰だって考えるんじゃないのかな?」
自分だって、そうだと思う。蔦にも里奈にも、良く見られたいと思っていた。
「自分は正しいって考える事って、それって、誰だって持ってる考えなんじゃないんですか? もし鈴さんがそういうふうに考えていたとしたって、それが腹黒い事だとは考えられない」
そうして、安積へ向き直る。
「安積さんはどう思います?」
「わからないわ」
相変わらず庭へ視線を向けたまま。白い髪が、風にフワフワと揺れている。
碇草の薄紫が、建物から漏れてくる明りを浴びて、仄かに発光しているようにも見える。木通の花はまるで小さな雪洞のようで、その下では小人か妖精か、はたまた春に呼び起された虫たちの宴が賑やかに行われているのかもしれない。
「でもね」
庭を見ながら、だがその瞳はどこか別のところを見ているかのよう。
「鈴ちゃんは、とても優しい子だったわ」
私はそう思うのよ。と、ツバサへ向き直って笑う。
「優しい子だったわ。とても面倒見がよくって」
「あの、霞流って人の話を聞いてもですか?」
「霞流慎二という人を、私は知らない。直接話を聞いたワケでもないし」
安積は視線を落とす。
「人それぞれ、見方も考え方も違うわ。その霞流という人がそう言うのなら、その人にとっては鈴ちゃんは腹黒い人なのでしょうね」
見方も考え方も違う、か。
ツバサは息を吐く。
背後の建物から奇声があがる。風呂上がりに走り回る幼児と、それを追いかける女の子。
「私も、鈴さんの事は、好きでした。尊敬してたし、兄の事も」
そこで一度言葉を切る。
「兄の事も、尊敬してました。今でも」
再び言葉を切る。今度はその先が続かない。そんな少女の頭を優しくなでる。
「二人とも、とても良い子ですよ。少なくとも私にとってはね。鈴ちゃんも魁流くんも、もちろんあなたもシロちゃんも」
里奈の名前に、ツバサはなぜだか目の裏が熱くなるのを感じた。
「私、シロちゃんと仲違いなんてしたくない」
「シロちゃんも、きっとそう思っているはずですよ」
「そう、だよね」
消え入りそうな声を、奥の部屋からの声が掻き消す。
「あぁ、もうっ!」
ツバサは突然声をあげ、勢いよく立ちあがった。
「こううるさくっちゃ、センチにもなれないよ。ったく」
腰に手をあて、クルリと向きをかえる。そうしてまだ座ったままの安積を見下ろし、二カッと笑った。
「私、頑張るね」
笑い返す相手に首を竦め、そうして襖を開けて部屋へと入って行った。
再び閉められた襖を見つめ、安積は複雑な面持ちで呟いた。
「霞流」
蓮華がふわりと揺れて、やがて眠りへと落ちていった。
緩は、机の上で視線を止めた。
バカとマジックで書かれた机上。背後からはクスクスと忍び笑い。
緩は無視をし、そのまま自席へ腰を下ろす。鞄からティッシュを取り出し、手早く拭いた。水性だ。擦れば落ちる。
消せない油性で証拠を残すような事はしない。表向きにはイジメなど存在しない品行方正な唐渓高校。その名前を穢すような証拠を、生徒たちは残さない。それが懸命である事を知っているから。
「まったく、災難だよなぁ」
不自然なほどに大きな声。
「よりにもよって、金本緩と同じクラスだなんてよぉ」
「ほぉんと、同じ教室に居るだけで、こちらの身が穢れてしまいそう」
「所詮は平民に毛だか尻尾だかが生えただけなんだろう?」
「それが金持ち面して校内歩き回ってよぉ。ったく、腹立つぜ」
新学期が始まって一週間。一年の時よりも酷くなったようだ。
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